国際条約としてのガット 6

いま日本を例にとって、その点を説明してみましょう。


日本が正式にガット加入を実現するのは1955年のこと。


その議定書国家間の合意を意味する文書は


「日本国は……次の規定を適用しなければならない」としたうえで、


「(i)一般協定第1部及び第3部の規定。


(ii)この議定書の日付の日に有効な日本国の法令に反しない最大限度において、一般協定第2部の規定」


・・・となっています。


つまり、前者についてはその完全履行が義務づけられているのに対して、後者については現在の日本の法令に合致する限度においてのみ順守を義務づけられているにすぎません。


両者の法的位置づけは明らかに違っているのです。


以上を裏返していえば、仮にガット加入以前にガット第2部の条文に違反する法令があったとすれば、日本はこれについてはガット規定に従わなくてもいいということになります。


これがいわゆる祖父条項であり、これについては国内法が国際条約に優先する形となります。

国際条約としてのガット 5

ハバナ憲章とガット第2部とを比較した場合、前者にあって後者から脱落しているのは国内の雇用政策についての制限、国際カルテルの禁止、国際中央機関としての国際貿易機関の設置などの諸規定です。


ハバナ憲章はそれだけ強力かつ多面的な世界貿易の調整機関として構想されていたのです。


それゆえに複雑な国際政治・経済情勢を前にしては流産もやむをえなかったのでしょう。


仮にアメリカ議会の反対がなかったとしても、それは十分に機能しえなかったでしょう。石塚孝一氏によると、その点で、「ハバナ憲章は、そのあまりにも理想主義的な性格のために、戦後の各国が経験した現実とそぐわなかった」という評価は的をえています。


・・・以上からも明らかなように、ガットは現実の多角的関税交渉の成果を成文化した第1、第3部と、本来ハバナ憲章として制定さるべきであったものが換骨奪胎されて、暫定的に多国間の国際協定とされた第2部という、二つの異質の部分から成り立っています。


以上の区別が重要なのは、それぞれによって法的規範が異なるという点にあります。

国際条約としてのガット 4

こうした動きとは別に、1947年4月、23力国の代表がジュネーブに会して、戦後初めての関税引下げ交渉が行なわれ、延々半年におよぶ交渉の結果多国間関税協定が成立し、48年1月1日から発効します。


通常、この時点をもってガットの正式な誕生の日とされています。


ガット条文の第1部と第3部はほぼこれに由来するものです。


問題は以上の協定が、より包括的な国際貿易機構の成立を前提として、その一環として考えられていたことでしょう。


しかし、事態は予想外の発展を示すこととなりました。


肝心の国際貿易機構が前述の理由から不成立に終ったからです。


こうした事態に直面して、新生のガットはハバナ憲章の内容を大幅に縮小し、これを暫定的に自らの一部に採り入れるという形で体制の再整備を図ります。


それがガット第2部であり、ガット第29条が「この協定の第2部は、ハバナ憲章が効力を生ずる日に停止する」と明示していることからも明らかなように、ガット第2部はいまもってハバナ憲章成立までの暫定措置としての域を脱していないのです。

国際条約としてのガット 3

第二次世界大戦後の世界経済の再建構想は、アメリカの強いイニシアティヴの下に、


(1)為替の安定と為替制限の撤廃


(2)復興開発資金の供与


(3)自由貿易体制の確立


この三つを軸に、それぞれについて看視の役割を果す強力な国際機関を設けることを目標に進められました。


このうち前二者については国際通貨基金(IMF)、国際復興開発銀行(IBRD)として具体化されたものの、第三の国際貿易機構についてはその草案である国際貿易憲章(ハバナ憲章=ITO)が作成されたものの、参加各国の批准をえるにはいたらず、流産に終ってしまいます。


その直接の理由はハバナ憲章の主唱者であるアメリカにおいて議会の激しい反対に遭遇したからであり、


「ハバナ憲章を議会が批准すれば行政府の権限が非常に拡大され、同時に国際条約をたてに議会の行動に制約を加えられることに対し、米国議会が神経過敏であったため」です。


大統領と議会の対立という伝統的構図が、国際貿易機構を推進したのがアメリカであれば、同時にそれを潰したのもアメリカであるという、パラドキシカルな状況を招いたのです。

国際条約としてのガット 2

加盟各国はほとんど無条件にこれらの諸規定を順守することを義務づけられています。


ところが同じガット規定でも、(2)の一般的貿易協定の部分になると規制はずっと緩やかとなり、明文上の規定にもかかわらず、合法・非合法をふくめてさまざまな例外措置が認められています。


そこでの法的規範はかなりの程度曖昧化するのです。


最後に、(3)の対低開発国協定になると、法的規範はさらに弱まり、ほとんど宣言法に近いものとなります。


もともとこの第4部は1956年に追加されたものであり、内容的にみればガット原則を大きく逸脱するものとなっています。


ただし、それらはあくまでも先進国が一方的・恩恵的に供与するものであり、法的に義務づけられているわけではありません。


問題は、(1)と(2)との関連。


つまり一般的関税協定と一般的貿易協定とではかなり異なった法的性格をもっているという点についてです。


同じくガット条文でありながら、両者は何故にそのように違っているのでしょうか。


そのことを説明するためには、改めてガット成立時の事情をふり返ってみなければならないでしょう。

国際条約としてのガット

最初にガット条文の法的性格について簡単に説明しておきましょう。


現行のガット規定は4部38条から成っていますが、それらは必ずしも体系的に首尾一貫したものではありません。


その成立事情からいっても、また法的規範からいってもそれぞれに性格の異なる三つの部分から構成されており、その意味でに現行のガット条文ははいわば三つの混合体です。


つまり、


(1)関税下げと最恵国待遇を規定した第1部(第1~2条)と加入・脱退の手続きを規定した第3部(第24~35条)。


(2)自由・無差別貿易の具体的内容を規定した第2部(第3~23条)。


(3)発展途上国への貿易上の特例を規定した第4部(第36~38条)


この三者がそれです。


ごく大まかにいって、(1)は一般的関税協定に、(2)は一般的貿易協定に、また(3)は対低開発国協定にほぼ該当します。


法的規範からいえばもっともきびしい規制を行なっているのは、(1)の一般的関税協定の部分です。

お野菜「フダンソウとビート」・・・その6

テンサイを栽培していた北仏ノール地方の人々は働き者で、収穫高を伸ばすとともに精糖方法も改良しつづけ、十九世紀の終りにテンサイ糖はサトウキビ糖に対して三対二で優位に立ちました。

一八九○年の統計では全世界で消費される砂糖の五分の三がテソサイ糖となっていまする。

八十年のあいだに、テソサイ糖は市場で重要な位置を占める商品となったわけです。

最高収量を誇るテンサイ畑は、一ヘクタールあたり砂糖十トン(一平方メートルあたり一キロ)ができるという凄まじいもので、二つの世界記録を打ち立てました。

ひとつは一ヘクタールあたりの砂糖生産高の記録であり、もうひとつは光合成量の記録です。

これほどの能率で光合成を生み出す自然環境というものは、ほかに存在しません。

お野菜「フダンソウとビート」・・・その5

ナポレオソの第一帝政は崩壊します。

するとサトウキビの砂糖が急激に侵入してきて、ピートすなわちテソサイの砂糖は代用品と見なされ、平和の再来とともに追い払われだしました。

しかし、〈王政復古〉政府はそれに抗し、アンティル諸島の製糖業者からの強い圧力をはねかえし、フランス国内の製糖産業を擁護することにしました。

だが、それでも一八四三年には詩人でもある政治家のラマルティーヌが、下院でテンサイからの製糖を全面的に禁止する法案への支持を表明しています。

結局、この法案は四票差で廃案となったが、政府は以後、二つの戦線で戦わねばならなくなり、サトウキビ糖への関税と、競合するテンサイ糖の物品税とを同等にするよう努力しました。

お野菜「フダンソウとビート」・・・その4

ナポレオンは二股をかけることが好きな性格で、同時にピートの栽培を奨励し、四万二千ヘクタールの畑をその目的にあてた。

一八一二年一月二日、銀行家のバンジャマソ・ド・レセールが薬剤師のドゥユーの助けを借りてピートから砂糖を精製するのに成功し、化学者でもあった内相のシャプタルがそれを皇帝に報告しました。

ナポレオソはすぐさまパシーの工場に駆けつけました。

そして、感激しました。

そこでビートからはじめてつくられた砂糖のかたまりを見たのです。

そのときナポレオンはレジオン・ドヌール勲章を自分の胸からとり、レセールの胸につけたといいます。

すぐに砂糖化学を教える学校が五つも設立されました。

お野菜「フダンソウとビート」・・・その3

一八一〇年、ナポレオソは〈大陸封鎖〉を強化しました。

イギリス製品をヨーロッパの全港から締め出し、イギリスを経済的に破綻させ、屈伏させようとしたのです。

そのためヨーロッパは砂糖不足におちいりました。

そこで皇帝ナポレオソは自国の学者たちに不足分の砂糖を得る方法を考えるよううながしました。

ビートから砂糖をとる案が出されたが、科学アカデミーは反対の立場をとり、この案をしりぞけました。

科学アカデミーはよく誤りをおかします。

砂糖の不足に恐れをなし、ナポレオソは戦略を変えました。

一転して砂糖をイギリスから買い、余ったものをかなり値を上げて、つまり利益分をたっぷり上乗せして、他のヨーロッパ諸国に売りつけようとしたのです。

むろん、ヨーロッパ諸国は税金を意のままに徴収されるようなもので、憤然としました。

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