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      <title>しげ山の一夜</title>
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      <description>ロシア五人組の一人、ムソルグスキーについて</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
      <lastBuildDate>Thu, 09 Feb 2012 17:03:29 +0900</lastBuildDate>
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         <title>顧客力ードの有効性</title>
         <description><![CDATA[アメリカのファッション専門店では、自店の商品を買ってもらうこと・・・


つまり、自分の店に入ってきたお客に欲しい商品を提供できることがサービスであるという考えに立っています。


買わなかったお客には、その店がサービスできなかったという考え方です。


ですから、たくさんのお客にそれぞれにぴったりの商品を揃えておくことが、お客への真のサービスだという考えに徹しています。


日本でも繁盛している専門店はみな固定客づくりに熱心です。


よく固定客何百人とか、何千人と簡単にいう人がいますが、本当の固定客とは"他店では絶対買わない"という人のことを指しているのです。


顧客名簿も、お客の名前、住所、電話番号、勤務先、仕事の内容といったことだけでなく・・・


体型やサイズ、好きな色、誕生日、趣味など接客中に知り得た情報をできるだけくわしく記録して、次の販売の貴重なデータにしています。


これらのことは<a href="http://www.futboljersey.com/" target="_blank">サッカー ユニフォーム</a>などを販売するスポーツショップにおいても同じなのです。

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         <pubDate>Thu, 09 Feb 2012 17:03:29 +0900</pubDate>
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         <title>新鮮な提案を</title>
         <description><![CDATA[わたしがアドバイスしている東京・市ヶ谷のあるメンズ専門店で、ブレザーをビジネス、カジュアル、フォーマルに3通り着られるようウインドー・ディスプレイをして見せました。


すると、前を通った広島のお客がその商品全部を買っていきました。


シャツ、替えズボン、ネクタイ、ベルト、靴下、靴まで一人で数十万円の買い物をして帰りました。


そのお客さんは


「こんな着方もできるのか、一度こんな格好をしてみたかった。こんどは友達とくるよ」


・・・といっていたそうです。


客が客を呼ぶのです。


ファッション専門店を見てまわって、いつもガッカリするのは、店が入りにくいということと、専門店も夢や楽しみを売る店であるはずなのに、そういうところからはるかに遠い存在になってしまっていることです。


・・・これではお客さんが入ってきません。


それから、その店の主張や、イメージを感じさせるようなショー・ウインドーのディスプレイにあまりにも無神経な店が多すぎます。


これは<a href="http://www.futboljersey.com/" target="_blank">サッカー スパイク</a>などを販売しているスポーツショップにも言えることなのです。

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         <link>http://nwbikes.com/2012/01/post_28.html</link>
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         <pubDate>Sat, 21 Jan 2012 17:02:11 +0900</pubDate>
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         <title>国土開発政策と山村</title>
         <description>「後進県」からの脱却をめざして、大企業誘致のための産業基盤を先行的に整備しましたが、計画が破たんした数多くの地域・・・。


そこでは高度成長の崩壊と不況の長期化の中で企業の進出計画の中止が相次ぎ、巨額の県費をかけた工業用地や工業用水が遊休し、不況下で失業と倒産の不安も卵深刻になってきました。


・・・例えば、秋田湾新産都では、計画した木材コンビナートは中核企業の秋田永大が倒産して破たん、大型農業の全国的モデルをめざした8郎潟干拓も減反政策で農業経営は破産寸前。


また福井県.臨海工業基地では、白砂青松の海浜をつぶし、790億円をかけて700㎞の工業用地を造成したが、目玉の古河アルミが進出せず97%が遊休。


雇用も1万4千人の計画に対して現実は火力発電所などの170人のみ・・・。


さらに、島根県・江津工業団地では、農村工業導入計画で新規雇用1万人を見込んで造成しましたが、進出企業はゼロでした。

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         <pubDate>Tue, 13 Dec 2011 11:59:20 +0900</pubDate>
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         <title>今日の林業労働問題</title>
         <description>山村にあっても、林業をはじめ地場産業の振興、地域最賃制の確立、雇用の安定化などが不可欠の課題です。


林業労働者と地域住民、自治体労働者との幅広い連帯を呼びおこさずにはおかないでしょう。


次に、国土開発政策と山村について、変化する国土開発政策の状況を考えていきましょう。


まずは「高度成長」型開発の破たんと三全総について。


1970年代の後期、かつての「高度成長」型国土開発の破たんの実態は、端的に概観すれば次のようでした。


最も早くから素材型重化学工業の誘致をすすめてきた太平洋ベルト地帯臨海部の地域ー京葉臨海地域・堺臨海地域・岡山県水島地区など。


これらの地域では、大企業の立地のために、自治体の行財政をあげて工場用地・港湾・工業用水などを提供し、地方税の減免などを行ってきましたが・・・


しかし、その結果は地元雇用量は少なく、農漁業・地場産業は衰退し、激しい公害・環境破壊と自治体の重い財政負担が残されました。


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         <link>http://nwbikes.com/2011/11/post_26.html</link>
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         <pubDate>Thu, 10 Nov 2011 11:58:23 +0900</pubDate>
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         <title>観音様について</title>
         <description><![CDATA[中国や日本で一番親しまれている仏というと、観音さまがあげられましょう。


その柔和な容姿は人びとに慈母のようにしたわれ、寺院だけでなく、家庭にもまつられています。


そもそも観音さまは、観世音菩薩とも呼ばれ、勢至菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍になっています。


勢至菩薩が智慧を表わすのに対して、観世音菩薩は慈悲を表わし、梵語で「アヴァロキテッスヴァラ」(世音を観る)といいます。


人びとの苦悩の叫び声を観じて、応病与薬の慈悲をたれています。


音は耳で聞くべきものですが、観というのは『観音経』の、


「もし、無量百千万億の衆生があって、もろもろの苦悩を受けるに、是の観世音菩薩を聞き一心に名を称えれば、観世音菩薩即時に某の音声を観じて皆解脱を得しむ」


・・・の一節にもとづいています。


家に<a href="http://www.soka-butudan.jp/" target="_blank">創価学会　仏壇</a>があるという方なら、このような話はきっとご存知でしょう。


]]></description>
         <link>http://nwbikes.com/2011/10/post_32.html</link>
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         <pubDate>Mon, 10 Oct 2011 16:52:02 +0900</pubDate>
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         <title>ジンクスの成り立ち</title>
         <description><![CDATA[
霊魂的であって魔術的とは言い難いけれど、しかし魔術的なかんがえのなかにも、これと同様に出来事の一致を信じる傾向が少なくありません。


たとえばエスモー人が狩猟に出て、なにも獲物がないので、その一人が権に乗って餌にするための犬の腿骨を取りに家へ帰ったが・・・


犬の腿骨を持って狩場へもどる途中で、海豹に出あってそれをたくさん捕獲できたため、その後は狩猟にゆくたびに犬の腿骨をもってゆく習慣になった。


・・・このばあい、エスキモー人は犬の腿骨と狩りの獲物を原因・結果の一繋りと判断し、将来も同一の成功をくり返すために、狩りにゆくときには犬の腿骨をたずさえてゆくという縁起が生じたのです。


「人がいろいろな物を身に装うたり、食用に供したりするのには、これによって彼らがそれらの物の特性を得ようとする帰納的推理から来たことである」。


<a href="http://www.uranai-king.com" target="_blank">電話占いの詳細は＞＞</a>

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         <link>http://nwbikes.com/2011/09/post_33.html</link>
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         <pubDate>Fri, 16 Sep 2011 17:31:41 +0900</pubDate>
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         <title>日本独特の仏画</title>
         <description><![CDATA[仏教の信仰は、日本では平安末期から鎌倉時代にかけてさかんになりました。


阿弥陀仏の来迎する聖衆来迎図を臨終間際の病人の枕元に掲げて、念仏をとなえ、一心に極楽往生を願ったのです。


それまでは単に極楽浄土を描いた「浄土変相図」で、こうした来迎図は浄土曼茶羅の一部分にすぎませんでしたが・・・


日本で浄土信仰がさかんになるにつれて、来仰図が独立して描かれるようになったものです。


阿弥陀仏の上半身が山の向こうからあらわれる「山越阿弥陀図」とか、スーパーマンのように急いで臨終の場にかけつける阿弥陀の「早来迎図」・・・


それに、気の早いのではすでに往生した人を連れ立って帰路につく「帰り来迎図」さえもつくられました。


仏さまが雲に乗った一連の動的な来迎図はそれまでにない、日本独特の仏画です。


即仏往生を願う気の短い日本人の性格をよくあらわしています。


<a href="http://www.soka-butudan.jp/" target="_blank">創価学会　仏壇</a>などを持っている方なら、このような話は興味深いのではないでしょうか。

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         <link>http://nwbikes.com/2011/09/post_31.html</link>
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         <pubDate>Fri, 02 Sep 2011 16:50:57 +0900</pubDate>
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         <title>ボディボードをするときの注意　2</title>
         <description><![CDATA[ボディボードがうまくなりたければ、とにかく海をよく見ることです。


特にその日海に着いたらまず波の状態をチェック。


そして準備運動をすまして、いざ海に入ろうとする直前にもう一度じっくりと海の状態を観察してほしいです。


確認する項目は次の通り。


まず海の流れ、カレント(沖に向かう大きな流れ)を見つけること。


カレントに乗るとゲッティングアウトが楽に早くできます。


そして、海の混雑状況を見ること。


無理にサーファーがたくさん来ているところで練習しようとしないこと。


そして、どういう人たちが来ているのかを見ること。


自分のレベルをかえりみて、周囲のサーファーとの関係も考えた上で練習場所を決めます。


<a href="http://ccc-kugenuma-beach.com/" target="_blank">初心者 サーフィンスクール</a>などに通っているビギナーの場合、その日の波の種類や天候状況を見分けるのはまだ無理。


もちろんそれも経験を積むうちにできるようになればそれにこしたことはないけれど・・・。


それよりもまず自分の身を守ること、安全に快適にボディボードを練習できる環境を海の中に見つけてあげることが大事なのです。


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         <pubDate>Mon, 08 Aug 2011 11:25:36 +0900</pubDate>
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         <title>ボディボードをするときの注意</title>
         <description><![CDATA[こんにちは。


今日は、ボディボードをするときの注意事項をいくつか述べていきたいと思います。


わたしがまだ<a href="http://ccc-kugenuma-beach.com/" target="_blank">初心者 サーフィンスクール</a>に通っていたころ、プロにお会いする機会がありました。


そのプロいわく、「デッキの部分にもきちんと塗ることが大切」とのこと。


ライディングズタイルをとってみて、重心をとっているおヘソの乗っているあたりがツルツルと滑ってしまうようだったら、そこを中心にていねいに塗ってみましょう。


ただし塗りすぎに注意。


少しずつ塗ってみて適度な厚さを覚えましょう。


ボードが滑るとどうしても手でボードをつかみ、基本スタンスが崩れることになることもあります。


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         <link>http://nwbikes.com/2011/07/post_30.html</link>
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         <pubDate>Thu, 07 Jul 2011 11:24:06 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>民有林について　2</title>
         <description>国有林では全林野労働組合が結成以来一貫して国右林労働者の常用化、労働条件の改善とともに、国民のための国有林作り、林政民主化等を課題にかかげて運動。


「基幹作業職員」を実現させるなど、一定の前進をかちとってきています。


民有林にあっては、全林野の指導の下で産業別組織(林業労働者のみ)をとる全国山林労働組合協議会と、林業のみならず土建、農村工場労働者など不安定就業者の地域別組織をとっている農村労働組合全国連合会とがそれぞれ独自に運動を展開。


そして、林退共、振動病対策などで一定の成果をかちとってきています。


ことに農村労連にあっては、「三省協定賃金」の実現をめざして実績をあげるなど、山村労働力市場の現状打蘭、地場賃金水準の引上げに大きな役割を果たしつつあるのです。


また、政府の「給付の適正化」を口実とした振動病闘争への抑圧に対しては、医療機関との共同による科学的な反撃を行うと同時に、「農林事業団」を設立し振動病軽快者や失業者の職場確保対策にも乗りだす(高知県)など、力量の高まりを示しています。


・・・以上のように、今日の林業労働問題は、財政「合理化」、不安定雇用を軸とした労働力再編成をめぐって激化しつつあり、その意昧で全国民的課題と深くかかわっています。

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         <link>http://nwbikes.com/2011/06/2_2.html</link>
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         <pubDate>Fri, 24 Jun 2011 11:57:39 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>民有林について</title>
         <description>民有林にあって注目すべき労働力対策(作業班員確保対策)を講じつつあるのは森林組合です。


その代表的なケースとして・・・


（1）組合員あるいはその家族単位の作業班員化(福井県丹生郡)


（2）作業班の森林組合からの別組織化=請負事業体化(愛媛県西条市)


（3）作業班員の森林組合職員化=月給制の採用(兵庫県一宮町)


（4）職員並みの社会保障制度の適用(栃木県森連、広島県布野村)


・・・などがあげられます。


これらの特徴は、対策が主として若年労働力確保に向けられていることであり、労働力対策としては一定の限界をすでにもっていることは否めません。


しかも、これらの対策をとりうる森林組合(他の事業体を含んでも)ですら、一部の「優良」組合に限られているところに事態の深刻さが示されているのです。


これらの「上から」の林業労働力対策に対して、林業労働者による「下から」の運動は、その労働組合への組織率の低さ(80年の全産業の31%に対し、農林・漁業・水産養殖業は12%にとどまり、ほとんどが公務労働者で占められている)もあって、大きく立遅れていることは否めないでしょう。

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         <link>http://nwbikes.com/2011/05/post_25.html</link>
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         <pubDate>Tue, 24 May 2011 11:56:41 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>海の旅と歌　4</title>
         <description>第一首の歌のように、都を離れてはろばろと旅する自分の境遇を、その地の海の生活者の海人部の民とひきくらべて、旅のままならぬ思いをのべるのは当時のいわば常套的な歌い方です。


つまり、「荒妙の藤江ケ浦にすずき釣る海人とか見らむ旅ゆくわれを」とか、すでに例にあげた「うつそを麻続王海会れや・・・」とか、「海人の釣舟泊てにけりわが舟泊てむ・・・」というふうに。


まず、海人びとの生活を言うことによって当時の人々の心に共通して抱かれている海の情、海に関する伝統的な共有感覚をよび起し、転じて、海人部の民でもない都びとの自分が、いま海人と見まがわれるような境遇の旅をつづけているということによって、旅のあわれさが一層切実な共感をもって人びとにひびくのです。


更に、「家にてもたゆたふ命・・・」の歌に至っては、海の旅中、瞑想のはてに思い至った心ゆらぎの極まりの深さに感動させられます。


私は海の旅におけるこういう心深さは、何といっても、海の彼方から長く苦しい旅をあえてして人間界をおとずれてくる神の旅の追体験・・・


海沿いの村々の祭りの夜におとずれる海彼岸の神への感動的な共感の体験の久しさが、その表現の底に生きているのだと考えています。

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         <pubDate>Sun, 17 Apr 2011 13:07:41 +0900</pubDate>
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         <title>海の旅と歌　3</title>
         <description>天平5年、遣唐使の船が難波を発つのを見送りに来た母親は


旅人の宿りせむ野に霜降らばわが子はぐくめ天の鶴群


・・・と歌いました。


おそらくこの母親の心には、広漠として広がるであろう大陸の野が思いえがかれていたと思います。


しかし、古代の朝鮮や支那に使した当時の官人たちが、彼の地で詠んだ歌というものはほとんど伝わっていません。


これは短歌史の上の一つの謎だといってもいいでしょう。


海の旅における更に深い心の凝縮の姿は、次のような歌に見ることができます。


磯ごとに海人の釣舟泊てにけりわが舟泊てむ磯の知らなく


玉はやす武庫の渡に天つたふ目の暮れゆけば家をしそ思ふ


家にてもたゆたふ命波のうへに浮きてし居れば卿処しらずも


大海の奥処も知らずゆくわれを何時来まさむと問ひし児らはも


・・・天平2年、大宰府長官としての任を終って帰京する大伴旅人は陸路をとって帰りましたが、その従者たちの一部は別に海路を都にもどってきました。


これは名もなき従者たちの旅中の歌です。


どうしてこれほどに内省の心の深さを見せた歌が、この人たちの口から詠み出されたか・・・。


不思議な思いにさえなりますね。

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         <pubDate>Thu, 17 Mar 2011 13:05:45 +0900</pubDate>
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         <title>海の旅と歌　2</title>
         <description>麻続王の経歴は明らかではありませんが、海人部との関連の深い人であったにちがいありません。


日本紀によれば天武4年、麻続王は因幡に、一子は伊豆に、一子は五島列島に流されたと記し、常陸風土一記には霞ケ浦の板来に流されたと伝えています。


そして万葉集ではこうして伊勢の伊良虜の島(現在の愛知握美半島の突端、伊良湖岬)に流されたといいます。


.三書三通りですが、いずれも海人部の分布の濃い土地であす。


この王の一族に関する伝えは海人部によって流布されたに相違いないでしょう。


三河の伊良湖岬を伊勢の国としているのも、伊勢湾が海人部の日本中央部における古くからの大根拠地であったからでしょう。


この二首の歌には、前の海の国見歌Lの雄大さとはややちがって、海辺漂泊の旅の寂莫感がただよっています。


この寂莫たる漂蕩感がまた、海上購旅の歌の一特色だといってもいいでしょう。


われのみや夜船は漕ぐと思へれば沖辺の方に樹の音すなり


波の上に浮寝せし夜何ど思へかこころ悲しく夢に見えつる


今よりは秋づきぬらしあしひきの山松かげにひぐらし鳴きぬ


旅にあれど夜は火ともし居るわれを闇にや妹が恋ひつつあるらむ


・・・これは天平8年に新羅に遣わされた使人たちの歌ったもので、特に一首口などは、夜の海上に舟を漕ぎつづける旅の心の敏感な細み、するどさを見事に凝縮させています。


その他の歌にしても、陸路をたどっている旅よりも一層深く思いつめた家族への心の通わせ方が見られます。


この天平8年の新羅への旅の歌は丹念に記録されていて、万葉集巻十五の前半にその旅の順序に従って収録されています。


ただ不思議なことに、歌の作られているのは壱岐・対馬までで、それから先の歌は無く、再び筑紫へもどって来てからの歌がわずかに残っています。


なぜ、異国を旅している日の歌が無いのでしょうか。
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         <pubDate>Thu, 17 Feb 2011 13:02:33 +0900</pubDate>
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         <title>海の旅と歌</title>
         <description>「あぢまさの島」は遠く南方の積榔樹茂る常夏の島、さけつ島も現実の視野の中の島ではありません。


こうしてみるとこの歌は、万葉集にも見ることのできない、実に広大無辺で海に対する積極的な意慾に富んだ海洋的国見の歌です。


陸封された大和国原の国見歌だけではなくて、こんな海の国見歌のあることを、日本人の伝承のために喜ばしいと思います。


万葉集巻六には、神社の忌寸老麻呂の


直越えのこの道にしておし照るや難波の海と名づけけらしも


・・・という歌があります。


生駒山から見て「芒照るや難波の海」という古い難波のほめことばは、こういうところから発せられたのだろうと感じている歌です。


しかし、老麻呂の心にはきっと、あの仁徳天皇にからむ海の国見歌の雄大さが動いていたにちがいないでしょう。


宮廷猿にとり、、まれた海人部の伝承は、かなりの量のものであったと思われます。


その中でひとつ、麻続王に闘する伝えと歌をあげてみましょう。


麻統王の伊勢国伊良虞の島に流さるる時、人、哀しみ傷みて作る歌


「うつ麻を麻続王海人なれや伊良虞の島の玉藻刈ります」


麻続王、これを聞きて感傷して和ふる歌


「うつせみの命を惜しみ浪にぬれ伊良虞の島の玉藻刈りをす」

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         <pubDate>Mon, 17 Jan 2011 12:53:58 +0900</pubDate>
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