海の旅と歌 4
第一首の歌のように、都を離れてはろばろと旅する自分の境遇を、その地の海の生活者の海人部の民とひきくらべて、旅のままならぬ思いをのべるのは当時のいわば常套的な歌い方です。
つまり、「荒妙の藤江ケ浦にすずき釣る海人とか見らむ旅ゆくわれを」とか、すでに例にあげた「うつそを麻続王海会れや・・・」とか、「海人の釣舟泊てにけりわが舟泊てむ・・・」というふうに。
まず、海人びとの生活を言うことによって当時の人々の心に共通して抱かれている海の情、海に関する伝統的な共有感覚をよび起し、転じて、海人部の民でもない都びとの自分が、いま海人と見まがわれるような境遇の旅をつづけているということによって、旅のあわれさが一層切実な共感をもって人びとにひびくのです。
更に、「家にてもたゆたふ命・・・」の歌に至っては、海の旅中、瞑想のはてに思い至った心ゆらぎの極まりの深さに感動させられます。
私は海の旅におけるこういう心深さは、何といっても、海の彼方から長く苦しい旅をあえてして人間界をおとずれてくる神の旅の追体験・・・
海沿いの村々の祭りの夜におとずれる海彼岸の神への感動的な共感の体験の久しさが、その表現の底に生きているのだと考えています。