海の旅と歌 3
天平5年、遣唐使の船が難波を発つのを見送りに来た母親は
旅人の宿りせむ野に霜降らばわが子はぐくめ天の鶴群
・・・と歌いました。
おそらくこの母親の心には、広漠として広がるであろう大陸の野が思いえがかれていたと思います。
しかし、古代の朝鮮や支那に使した当時の官人たちが、彼の地で詠んだ歌というものはほとんど伝わっていません。
これは短歌史の上の一つの謎だといってもいいでしょう。
海の旅における更に深い心の凝縮の姿は、次のような歌に見ることができます。
磯ごとに海人の釣舟泊てにけりわが舟泊てむ磯の知らなく
玉はやす武庫の渡に天つたふ目の暮れゆけば家をしそ思ふ
家にてもたゆたふ命波のうへに浮きてし居れば卿処しらずも
大海の奥処も知らずゆくわれを何時来まさむと問ひし児らはも
・・・天平2年、大宰府長官としての任を終って帰京する大伴旅人は陸路をとって帰りましたが、その従者たちの一部は別に海路を都にもどってきました。
これは名もなき従者たちの旅中の歌です。
どうしてこれほどに内省の心の深さを見せた歌が、この人たちの口から詠み出されたか・・・。
不思議な思いにさえなりますね。