ボリス・ゴドゥノフ
1874年の『ボリス・ゴドゥノフ』の初演まで、ムソルグスキーは「五人組」の合作オペラ『ムラーダ』
に関わり、このために『禿山の一夜』の合唱版を作ります。
そして歌劇『ホヴァーンシチナ』も担当するなど、意欲的に制作活動を行います。
『ボリス・ゴドゥノフ』は批評家のは悪評で、上演回数はたった10回程度でしかなかったのですが
聴衆には大好評で、これによってムソルグスキーの活動は頂点を極めたといっていいでしょう。

しかし次第にこの頂点から転落の兆しが現れます・・・。
ムソルグスキーは友人のもとから押し流され、どうやらアルコール依存症だったのではないかと
思われる行動を起こしています。
さらに友人のヴィクトル・ガルトマンが死に、肉親やルームメイトのゴレニシェフ=クトゥーゾフ伯爵
も結婚して、彼のもとを去って行きます。
それでも1874年以降は『陽の光もなく』、『モスクワ河の夜明け』(『ホヴァーンシチナ』前奏曲)、
『展覧会の絵』が作曲されていますし、
歌劇『ソロチンスクの市』も担当して、『禿山の一夜』の、別の合唱版も制作するなど
音楽活動は意欲的に行っていたことがわかります。